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2008年6月14日 (土)

遠きにありて

 家族全員が起きて朝ごはんが終わった頃だったでしょうか。

 足元で、微妙な揺れを感じました。

 すぐに地震だ、とは気がついたのですが、リビングに行ってみると早速地震ニュース速報でテレビは一色に染まっていました。

 震源地は岩手。そんなところでの揺れが東京まで伝わるというのだからどれだけ強い地震だったかと思えば、最大震度6度強だったとか。

 東北地方には、ママっちの実家があります。震源よりはかなり離れたところなので、それほど大きな被害ではないだろうと思いつつも、心配なのですぐにママっちが電話していました。

 やはりすぐにはつながらず、何度かかけなおしているとようやく受話器からコール音。

 少し上から小さなものが落ちたりはしたけど、被害はなかったのだとかでひとまずは安心。でも、一番揺れが酷いときは、立っていられないくらい激しく揺れていたのだそうです。

 大きな地震と言えば、今でも記憶に新しいのが95年に起きた阪神淡路大震災です。13年前といえばもう、私は上京していましたが、私の実家は京都にあります。京都なので、こちらもそんなに大きな被害はなかったのですが、あのときばかりは私はパニックになっていました。

 有名な話ですが、東京では当初、関西の被害はそれほど甚大なものではないと楽観視されていました。そんな状態が半日ほどつづいて、夕方になった頃から、実はかなり大きな被害が出ていると言われ始め、心配を抱えたまま仕事から自宅に帰り着いてすぐに電源を入れたテレビから流れてきた映像は、日が暮れた大阪の町を覆いつくす火の海の映像でした。

 その後、私は30分近く、自宅の電話を実家に向けて狂ったようにリダイアルし続けたのを覚えています。

 京都だったので、揺れはそれこそ激しかったものの、実家の被害は花瓶一本でした。電話に出てくれた母の声は落ち着いたもので、私が実家のことしか心配していなかったのに、母は二次災害で火災に遭っている人たちに同情するようなことを口にしていました。

 まったく余裕がなかったのはむしろ、遠方にいた私だけ。

 そんなことをふと思い出した朝のニュースでした。

 私だけではないと思いますが、こういうときって、自分の身内のことしか考えられなくなってしまうものですね。ここに書くのは不適切なことかもしれませんが、極端なことを言うなら、身内さえ無事でいてくれればそれでいいという心境にさえなってしまいます。冷静になってみると、それじゃいけないよなと思うんですけどね。

 子どもたちに特別に話さなくちゃならないようなことが起こらなかったのが幸いでした。今はただ、そういう気持ちにしかなれないのですが、岩手の地震の被害が少しでも小さくあればと、その一方では願って已みません。

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コメント

よかったですね~。でもまだまだ心配ですね。
私は母方の親戚が青森にいるので
地震直後は電話がつながらなくて心配でした。
身内の心配第一になってしまうのは当然ですよ。
自分の気持ちに余裕が無い時はなおさら・・・。

私はずっと神奈川在住ですが
阪神淡路大震災の時は、
テレビ画面の映像は今でも鮮明に憶えています。
こんな事が実際に起こるなんて信じられなくて
何も言えずに画面を見入ってました。
パパっちさんは大変な思いをしていたんですね。
東京で起こったら一体どうなるんでしょうね・・・

投稿 むっちゃん | 2008年6月18日 (水) 15時00分

>むっちゃんさん
 大変って言っても、私自身が被災したわけじゃなし、遠方で心配していただけのものです。ただ、正確な情報が必要なときになかなか入ってこないというのは、遠方にいる人間をパニックにしてしまいます。
 当時と違い、今はネットも普及してるし、もう村山総理のときのようなことは起こらないと思いたいものですけど。
 東京で起こったら・・・・万単位で人が亡くなるかもしれないですね。耐震偽装した建物なんていっぱいあるだろうし。震度6強といえば、建物が倒壊するに十分なレベルなのだそうです。
 対策を常にしておくことしかないんでしょうけどね。地球環境にもやさしい(ゴミやムダを出さない)食料や薬品の備蓄ってなると、これまた難しい問題のような気がしてきます。

投稿 パパっち | 2008年6月19日 (木) 13時10分

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