天空のリング
事前に日食グラスもちゃんと購入していました。あとは晴れることを祈るのみ。今日は待ちに待っていた金環日食の日です。私自身、金環日食を観測するのは生まれて初めてのことです。中学生くらいのことでしょうか、部分日食を、日没間もないときに何も道具を使わないで少しだけ見たことがあったくらいのもので、それ以来日食を見たこと自体ありませんでした。理屈は知っていましたが、それを実際にこの目で確認することができるとあって、私自身ちょっと興奮気味でした。
小学校では、三年生以上の児童は、時間までに学校に行けば日食グラスを貸してもらって校庭で観測することができるようになっていました。ヒメっちはそちらに乗っかればよかったので、私はナイトっちと一緒に観測するための準備だけしておけばよかったのです。保護者がつきそうということと、日食グラスの準備を自前でやっておけば、一年生のナイトっちも校庭で観測するということ自体は学校でも許可してくれていました。
学校に行く前に少しだけ、私一人でマンションの玄関を出て、本当に太陽が見えるかどうか試してみましたが、すでに食が始まっていたこともあり、またこのころから薄雲がかかる程度で観測には十分な太陽が出始めていたこともあって、学校に早めに向かうには十分な条件がそろっていたというわけです。
七時を過ぎて、いざ学校へ。ママっちも少し後れて来るということで、私とナイトっちで太陽をときどき交代で見上げながら、校庭まで向かいます。
東京では7時35分、日食は食の最大、食甚といわれる状態になりました。見事な金の輪が、天空に現れたのです。ほんの一瞬のことでしたが、環の幅も全体的にほぼ一定の、美しい輪になった太陽が観測できました。
地球全体で言うなら、日食も月食もまったく珍しい現象ではありません。地球のどこかでは、年に何度も発生していることです。それでもこの実にありふれているはずの現象が、ここまで私たちをひきつけてやまない世紀の天体ショーと言われるのは、人間が宇宙の前では実に小さな存在であるからだということに他ならないのでしょう。
まだ日食が起こるメカニズムもそれが日本で観測できることがどれほど稀なことなのかもしっかり理解できていないだろう我が家の子どもたちですが、物理的な理屈も、そしてそれを前にしたときの人間という存在についても、これからの未来を担う子どもたちに伝えていきたいものです。


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