2012年2月 2日 (木)

二十年前の教科書

 正月に実家に帰省したときに、学生のころに教科書として使っていたある本を持って帰っていました。大学二年生のころに、小学校の国語教育についての講義を受講していたときに指定されていた教科書です。講師の先生が書いた本を教科書として使うという、よくあるパターンです。

 本のタイトルは「小学校1年生のことばとの出会い」。著者は、当時の大学では助教授だった、早川勝広という国語教育の先生でした。

 今、電車の中などで改めてこの本を読み返しています。

 古い本ですが、子どもに対する国語教育に関しては、それほど時代の移り変わりが顕著に影響するというようなこともないからか、今でも専門家の考え方にはっとするようなことが書かれていることに気づくことがあります。あらためて、子どもに何かを教えるとは、つめこみではだめなんだということを知らされます。学ぶのは子ども本人自身であり、大人はその舵取りをするだけのことだと、学生のころから何度も言い聞かされてきたことを思い起こします。

 ナイトっちがもうすぐ小学生。学校に行ける日を指折り数えて楽しみにしているナイトっちに、正しく勉強を教えていけるよう、私もまだまだ勉強することがありますね。

 へんな言い方ですが、小学生になったナイトっちと一緒に、勉強をしていこうじゃないかと思うのです。

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2012年2月 1日 (水)

自分の体

 学級閉鎖のさなか、ヒメっちは昨日いつもの定期検査でした。通院で学校を休める日と学級閉鎖が重なってしまい、ちょっと複雑な思いだったらしいです。

 そんなことを考慮するほど甘くはありませんが。

 直前にインフルエンザに罹っていたことで、検査の結果が不安ではあったのですが、特にこれといった異常も見られなかったんだそうで、ひとまずは安心です。ステロイドの減量まではいかず、4.5mgの現状維持のままだったんですけどね。

 でも今回の検査は、インフルエンザの悪影響や後遺症がなかったことがわかっただけでも十分な収穫です。

 あとはヒメっち本人にもう少し、自分の体を大切にする意識があるといいのだけど。昨夜も、退屈な電車移動中にたっぷり寝てしまうからしかたないところもあるのですが、ずいぶん遅くまで起きていました。夜更かしも、風邪の原因になることがあるだろうから、そのあたりをもっと意識してほしいのですが、ヒメっち自身はちょっとそのあたりをまるで他人事のように楽観視している様子があるのです。

 自分の体のことなんだから、と私が言っても、私自身があまり自分の体を大切にしていない傾向もあるので、説得力がないんですよね。それでもヒメっちにはわからせないといけないのですが、何かいい方法はないものか。

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2012年1月31日 (火)

ボクはO型だよ

 子どもたちを最近まで苦しめたインフルエンザは、少し遅れてヒメっちの小学校で猛威を振るっているようです。ヒメっちのクラスは、今日から三日間学級閉鎖となりました。

 毎年耳にする話ではありますが、インフルエンザというのは怖いものですね。私は過去に一度もインフルエンザと診断されたことがないので(無理して医者に行かないでいたために、しばらくしてから受診したものの時間が経ちすぎて検査不可となったことはあります)、それがどれくらい苦しいものなのか、そんなに多くの人を一度に苦しめるほどの力を持っているものなのかもあまり実感することがないのですが、その実態はかなり怖いもののようです。

 今朝、インフルエンザの型の話をヒメっちとママっちがしていました。子どもたちが罹ったインフルエンザは、よくあるA型タイプだったらしいです。他に、B型とC型があり、特にC型は稀ならしいですが、発症すると特に怖い種類なんだそうです。

 そこに、ナイトっちがふと割って入りました。

「ボクはO型だよ」

 はい、ナイトっちの言っているのは血液型のことです。インフルエンザにO型はありません。

 ここまで無邪気に天然っぶりを発揮してくれるというなら、もう心配は要らないですね。

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2012年1月30日 (月)

制服と帽子の向こうには

 私が少し仕事に出る時間が遅いときなどは、ナイトっちが幼稚園に行くのと同じ時間に合わせて、途中まで一緒に行くことがあります。私は駅に向かうのだし、ママっちとナイトっちは幼稚園に向かうので、どのみち途中からは分かれるのですが、せめて途中までくらいは一緒に行こうというようなことをしています。

 今朝もそんな感じでした。

 姉のお下がりの園服に園帽を身につけ、いかにも幼稚園児といったいでたちのナイトっち。この愛くるしい姿を見ていられるのももう後一ヶ月半ほどになってしまったのかと思うと、なんだかちょっと寂しくなります。

 毎日を一歩一歩、噛みしめて生きていこう。時間は無限にあるものではないのだから。

 でも、園服と園帽は卒業しても、その先にはランドセルが待っているわけです。それはそれで楽しみなんですよね。

 親の欲目は尽きないものです。

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2012年1月29日 (日)

てんぷら☆さんらいず

 本当は昨日だったのですが、病み上がりのヒメっちの熱が引いてまだ二日もたたないということから、今日実行することにしました。

 ママっちの誕生日なので、ご飯を作る手間を省略してもらおうと、夕飯を外で食べようと考えていたのです。

 たまに外食するというならと、子どもたちは焼肉がいいと言っていましたが、それは私もママっちも気が進みませんでした。高くつくというのもありますが、何より食事にかかる手間が大変だからです。注文したものが待っていればそのうち出てきて、それを食べれば終われという簡単なもので済むものが理想なのですが、親は絶えず肉を焼く側に回らなければならないというのは、なかなか今回のような場合にはあてはまりません。子どもたちはあまりそういうところにまで気が回らないのか、なぜ親が異を唱えるのか理解しにくい様子でしたが、ママっちに楽をしてもらおうというときに焼肉はないだろうと。

 私が考えたのは、この町で暮らすようになって八年近く経つのですが、まだ一度も入ったことのない飲食店がいくつかあるので、その中からよさそうなお店を探してみるのはどうかということでした。近場ですぐに思い当たるお店が何件かありました。お寿司屋さん、とんかつ屋さん、天麩羅屋さんのあたりが候補に。ヒメっちは最近あまり脂っこいものを食べたがらなくなってきているので、とんかつははずし、最近では正月にお寿司を京都でご馳走になっていたということもあるし、ママっちが何より、プロの揚げる天麩羅を食べたいというので、今回は初めて訪れる天麩羅屋さんに行くことにしました。

 その店まで行くのが寒くてかなわなかったけど、初めて入ったそのお店は、全体の内装が和風にまとめられていて静かでいい感じでした。

 ちょっと奮発して、四人全員同じメニュー。1800円の天麩羅定食を注文。ナイトっちが食べきれるか心配ではありましたが、たまの外食くらいはそれもいいでしょう。

 天麩羅って時間のかかる料理なんですね。四人同じものを注文していたというのに、一時間近く待たされました。油で天麩羅を揚げる音が聞こえ始めてしばらくして、ようやく全員分の膳が運ばれてきました。子どもたちはとっくにおなかをすかせていたみたいで、早速食べ始めます。

 ナイトっちがちょっと驚いていました、言われるがままにみなと同じものを注文しただけのつもりだったのですが、膳の上に乗せられたものがあまりにも多くて、その量と種類の豊富さに驚いていたようなのです。

 私とママっちが早々に平らげた後、子どもたちはずいぶん時間がかかっていましたが、それでも二人とも、よく食べました。ヒメっちは、大人でも十分に堪能できるその料理を、残らず食べきっていました。ナイトっちは、ご飯と小鉢に盛られた酢の物を残しましたが、それ以外はやはり全部食べきってくれました。

 和食はやっぱり盛り付けにもこだわるんだねなどと、時間のかかった食事だったのに話題にも事欠かないまま、たっぷりと食事を楽しむことができました。奮発した甲斐があったというものです。

 二人とも大きくなったなあ。もう大人とあまり食事量も変わらないくらいになっているのですから。

 楽しい週末の家族の食事。なかなか遠くに出かけることまではできないとしても、これも立派な思い出づくりです。

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2012年1月28日 (土)

忙しい小学生

 ヒメっちのインフルエンザは軽い症状で済みましたが、それでも一応は病み上がりの身。外出などは厳禁です。なかなか思うようにはいきません。

 またものんびりとした週末となることに。そのこと自体は私もかまいはしないし、ナイトっちも先に治っているからといってもやっぱり最近までインフルエンザにかかっていたのだから、ここはおとなしくしておいたほうがいいというものでしょう。

 ヒメっちちは、朝からその日一日の宿題とベネッセのワークなどを片付けるつもりで勉強していました。

 ところが、この勉強が遅々としてすすまない。たいした量ではないのですが、少しやっては違うことに気をとられてしまっているのです。漢字の書き取りひとつにしても、一文字書いたらナイトっちのゲームに興味が走り、また一文字書いたらまったく関係のない雑談を誰かにふり、いつになったら完了するのかといった様子です。集中して取り組めば、小一時間程度で済む程度のボリュームなのです。

 友達と勉強道具を持って出かけたときはあまり進まないままに帰ってくることがあるみたいですが、そのときもそんな感じなのでしょう。

 結局ヒメっちの今日の家庭学習は、お昼ご飯をはさんで夕方までかかっていました。

 バイオリンの稽古も入れると、一日にこなさなければならないことだけで一日が終わってしまうなんてことになってしまっているのです。けっしてそんなにたくさんのことを詰め込んでやらせているはずはないのですが、ヒメっちの休日は、それでほぼすべて終わってしまうのです。

 これじゃ、インフルエンザを退治したところで、休みの日に何か特別なことをしようとしたってできるはずもありません。そのくせ、新しいことには興味を示し、あれもこれもやってみたいというようなことは言うのですが、今のこの状態ではちょっとねえ。

 子どもにはなかなか、時間は有限の資源という感覚を理解させることは難しいのかもしれませんが、もう少しそういう意識をしっかり植えさせないといけないようです。

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2012年1月27日 (金)

次世代のセンス

 仕事の都合で今日は終電間際まで拘束されることが確定していたことで、朝からではなくシフト勤務の態勢となっていました。午前中はゆっくりできます。子どもたちも、インフルエンザの病後ということで学校にも行けず、二人とも朝からのんびりと過ごしています。

 午前中は何をするというわけでもないのですが、子どもたちとゲームをして過ごしていました。

 滅多に新しいゲームなど買ってあげることはないのですが、昔私が持っていたゲームソフトなどは今でも使えます。子どもたちは時々これらのゲームをほじくりかえして遊ぶのです。時代の流れの上では古いゲームソフトでも、子どもたちにとっては目新しいもののように映るようで、わりと楽しそうに遊んでいます。

 ナイトっちと、PlayStation2の「VirtureFighter4 Evolution」という、これまた古いゲームで遊んでみました。それ自体はもう、10年近くも昔に発売されていたゲームソフトです。今ではもっと進化したゲームもたくさんあるというものですが、それでも今でも十分に遊ぶことはできます。

 ナイトっちは格闘ゲームをするとき、コンピュータを相手にするより、ヒメっちや私と対戦するほうを好みます。コンピュータ相手だと、最初のうちは相手が弱いからいいけど、先に進むに連れてまったく勝つ気がしなくなってしまうというのも理由のひとつなのかもしれません。相手が人間だと、その相手がよほど強い場合は別として、大して上手くもないどうしでならその方が楽しめるというもののようです。

 ナイトっち、格闘ゲームがいつのまにかとっても上手くなっています。そんなに複雑なことをしているわけでもないのですが、相手の出方を見て戦法を変えるようなことも少しはするようになっているのです。

 子どもは何をやらせても飲み込みが早いとはいいますが、もしかしたら今の子どもたちにとっては、めまぐるしく画面の中を動き回る格闘ゲームのキャラクターでさえ、その動きを見極める目が育っているのかもしれません。年をとってからではけっして見えることのない、感じることもないセンスを、その強い吸収力で身につけるものなのかもしれないと思うことがあるのです。

 ゲームで負けるのは何も悔しくはないけど、そのうち本当に負けて悔しいと思えるようなことが出てくるかもしれません。たとえばコンピュータの技術に関してとか。そうなったらなったで、子どもたちの成長を素直に喜んでいるのではないかとも思いますが、近いうちに子どもたちが見せてくれる新しいポテンシャルにはどんなものがあるというのか、今から楽しみになるものなのです。

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2012年1月26日 (木)

招かれざる流行

 ナイトっちのインフルエンザがほぼなりを潜めたころから、今度はヒメっちが咳をするようになりました。熱はないようですが、免疫抑制剤という特殊な薬を常用しているヒメっちの場合は、軽い咳でも注意しなければなりません。免疫の活動を抑えているせいで、見かけ上の症状が軽く見えているだけという場合があるからです。軽い咳をしているだけだというのに、実は肺炎を起こしかけている状態で、診察を受けてみたら即入院などということが普通に起こりうる危険のある薬なのです。

 学校を休ませて地元の小児科に行かせました。

 結果はインフルエンザでした。ナイトっちからもらってしまった可能性が高いんでしょうけど、逆に言えば、それ以上の怖い病気ではなかったのだから、むしろ歓迎すべきことかもしれません。

 インフルエンザでよかったなどと言うつもりはないですけど。

 病名がはっきりしたなら、後は治療を医師の指示通りにしていけばいいことなので、そのまま回復を待てばいいということにもなるのでしょう。

 やっぱり冬は嫌いだ。寒いのが苦手だというのもありますが、何より、子どもたちが頻繁に体調を崩すこの季節が、私は好きになりません。

 早く春が来ればいいのに。

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2012年1月25日 (水)

郊外は都会ではない

 我が家は東京都のはずれに位置する郊外にあります。東京都といっても、都心を離れてしまうと、ずっと離れた地方都市と変わらないくらいの普通の町です。

 そんな町に住んでいれば、20分も電車に乗れば都内の繁華街に出られるとはいっても、子どもは都会にあこがれをいだくもののようなのです。

 ヒメっちは、渋谷か原宿に行ってみたいとよく言っています。若者の町というイメージが強いんでしょうね。渋谷の109などは、一度行ってみたい憧れの場所のようなのです。

 毎日都心に仕事で出ている私にはあまり感じられないことなのでいすが、基本的な行動範囲がまだ地元の郊外都市でしかない子どもにとっては、やはり渋谷や原宿のような町並みは、テレビでその一部分を見るだけでも憧れに変わるものなのかもしれません。

 自分で行動できるようになってしまえば、なんでもないことなんですけど。

 それくらい、都会の偶像化は現代の子どもにまで及んでいるということなのでしょうか。なんとも複雑な想いです。

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2012年1月24日 (火)

雪の日のデジャブ

 昨日は東京のレベルではかなりの大雪に見舞われた日となりました。今朝のニュースによると、六年ぶりの大雪だったんだそうです。もちろんそれまでにも雪の降った冬はありましたが、これほどの規模で降ったのはこの六年ほどなかったということなのでしょう。

 目の前を通り過ぎる車が道路につけた轍が、みるみるうちに新しい雪でかき消されていく光景には、なかなかお目にかかれるものではありません。

 六年前の大雪の日は、よく覚えています。なぜなら、ヒメっちとママっが、生後一ヶ月のナイトっちを連れて、ママっちの実家から我が家にもどってきてくれた日だったからです。何もこんなときにこんなに降らなくても、と思いながら、一緒に来てくれたママっちのお母さんも一緒に我が家に迎え入れたのを覚えています。当時私は、つかの間の一人暮らしを謳歌するなどといった余裕などまったくなく、そのあまりにも強い孤独に私は押しつぶされそうになっていました。雪のせいで我が家の家族たちがもどってこられないなどということになったら、その日の雪をどれほど呪ったことだろうかと、今でも思い出されます。

 大雪をすぐ近くで見ると、そのたびに当時のことを思い出すのです。

 そうか、あれからもう六年経ったのか。つい昨日のことのようにさえ思えてきます。雪が塗りつぶした町の風景はいつも同じように見えるのと、似ているような気さえしてきます。

 まだインフルエンザがよくならないナイトっちは、残念ながら今回の雪で遊ぶことはできなかったけど、六年前、真っ白な雪を背景にほんのりと赤いほっぺをベビー服のフードの隙間から覗かせていた当時のナイトっちのことを、またいつか大雪が降ったときに話してあげようなどと思うのです。

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2012年1月23日 (月)

突如インフルエンザ

 朝からナイトっちの様子が変でした。熱はないけど、元気がないのです。ずっとぐったりしています。

 様子がおかしいので、幼稚園を休ませ、ママっちが小児科までつれていってくれました。

 私が仕事に出かける準備をしていたころはまだ熱はなかったのですが、その後小児科医を訪れたときにはもう、高熱が出ていたらしいです。

 診断はインフルエンザでした。その小児科医には、同じようにインフルエンザを発症した子どもが大勢いたらしいです。

 ナイトっちの幼稚園では、年が明けると一年最後のしめくくりとなる幼稚園最大の行事、発表会の準備に入ります。ナイトっちももう、演劇や合唱の練習を始めているはずなのです。本番は二月だったかな。

 一年の集大成を父兄に披露する絶好の機会に体調を崩して休まざるを得ないのだけは避けないといけないので、今のうちに治しておこうということになりました。ヒメっちの幼稚園最後の発表会は、ヒメっち本人が高熱を出したせいで参加できませんでした。また、昨年のナイトっちも、発表会当日に高熱を出していたのです。演技は笑顔でこなしていましたが、終了直後にナイトっちはもどった教室の机の上でつっぷしていたんだそうです。

 当時の記事と、無邪気に笑って踊っているナイトっちの写真を見るたび、今でも心が痛むのです。このときすでに、ナイトっちはかなり苦しかっただろうに、よくがんばったものだと。

 まもなく始まる幼稚園の発表会は、泣いても笑っても本当に最後の発表会です。我が家にとっては。

 それまでにはしっかり治しておかないと。

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2012年1月22日 (日)

対処しにくい反抗

 子どもが言うことを聞かなくなるということは、子どもの成長につれて出てくるものではあるのですが、中でも一番たちが悪いのが、親の言いつけに何も答えずに自分のやりたいようにことを進めようとすることがあった場合です。言われた傍から、聞こえているはずの言いつけを無視して自分のしたいことをする。そういうとき、親はどうしたらいいのでしょうか。

 ヒメっちは女の子にしては珍しく、あまり積極的にお風呂に入りたがりません。特に一番風呂は、お湯が熱いというのもあるのか単に面倒なことを後回しにしようとしているだけなのか、なかなか入ろうとしないのです。

 もう十分に遅い時間になっているというのに、なかなかお風呂に入ろうとしないヒメっち。宿題は済んでいるけど、ベネッセの教材のほうがまだスケジュールどおりに進んでいないからと、それを言いわけにしています。

 その教材をやるのは後にしてすぐにお風呂に入ってきなさいと言ったのですが、それをヒメっちはまったく無視して、きこえなかったかのように教材をはじめようとするのです。

 こういう態度を子どもが取るときは、どのように注意したらいいのでしょうか。つい厳しいことを言ってしまうのですが、それは私にとっても本意ではありません。むしろ、ヒメっちの反省を促すどころか、ただ傷つけてしまうだけの結果になってしまうことにもなりかねません。

 でも、気に入らないことがあるからってそれを無視していては、何もいいことなど生まれてくるはずがないのです。むしろ、人との信頼関係を自分から捨ててしまっているようなものです。人間関係を捨てることを問題解決の切り札のように考える癖がついてしまうというのは、怖いことです。

 極端な心配かもしれないけど、気にはなります。将来、ヒメっちが人間関係で大きな失敗をやらかしてしまいはしないかと。後から取り戻しの利く程度のトラブルなら心配することはないのですが、あまりにも大きなトラブルになってしまった場合は、少なからず傷つくことにもなるだろうし。幼いうちは、あまり経験させたくはないことです。

 難しいのは、このような消極的な態度で子どもが反発の意思を示すことがあったときに、それをどうやってしかればいいのか、私にはそれがわからない。ヒメっちがそういう時期に来ているということなんでしょうが、私にとっても大きな試練のように思えるのです。

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2012年1月21日 (土)

ふろしきを教材に

 小学校で学校公開が行われていました。ヒメっちたちの授業風景を見せてもらえる貴重な時間です。

 ヒメっちも含めて、クラスには道徳の授業が好きな子が多いらしいです。それがあるからなのか、もともと土曜日に授業をするときは道徳の授業が入ることが多いのか、授業参観ではよく道徳の授業を公開しています。

 実際、子どもたちが実に生き生きと授業を受けているのです。

 今回は、近年のエコブームで見直されてきているという、風呂敷について考えようというものでした。子どもたちも自宅から思い思いに風呂敷を持ち寄り、学校でも教材用のを準備して、二本の一升瓶を包む方法、そしてドッヂボールを西瓜に見立てて、西瓜を風呂敷に包む方法を、最初は正解を伏せて、子どもたちに班ごとに自由に試させてみるという内容でした。

 一応それなりに、包めることは包めるのですが、二本の一升瓶は風呂敷の中で接触してしまうと、ちょっと不安が残ります。適当に包んだだけの西瓜では、いつ転がり落ちるかわからないような状態になります。

 そして、担任のH先生はしばらく子どもたちに時間を与えた後、「昔の人の知恵」と前置きして、粋な包み方を教えてくれます。二本の一升瓶を、一枚の布で一本ずつしっかり包む方法と、西瓜を袋状にした風呂敷に入れて簡単には解けないようにする包み方。子どもたちは一人残らず、目を輝かせて授業を受けているのです。

 そして最後に、先生は近年の進化した風呂敷も紹介してくれました。水を入れて運ぶこともできるという、強力な撥水加工をした風呂敷です。雨にぬれるくらいなら中に包んでいるものをまったく濡らさずに済ませることができるという、現代科学が生み出したスーパー風呂敷なんだそうです。バイクで学校に通勤している先生は、雨が降っているときにはバイクの荷台に結わえ付けた鞄の上に、この風呂敷をかぶせているそうです。

 そこでも子どもたちは驚きの連続の様子。子どもたちが道徳の授業に夢中になる理由がわかるような気がします。本当に一体感のある授業なのです。

 こういう授業を参観していると、親の私はありがたいことだと思うのですが、一人だけ気の毒なのが、一緒に来ていたナイトっち。三つ年上のお兄さんお姉さんたちが実に楽しそうに授業に参加している様子を、ただ見ていることしかできないのです。自分も一緒に、風呂敷でビンを包んだり、水を入れても平気な風呂敷を見たりしたいところなのに、遠くからじっと見ていることしかできないのがもどかしそうでした。

 早く学校に行きたいみたいです。もう少しの辛抱ですけどね。

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2012年1月20日 (金)

目を閉じて思い出すもの

 子どもたちのことをいつも思っている親ばか親父を自称する私ですが、ふと思索に耽っていて思うのは、子どもたちがまだもう少し小さかったころの思い出話を回想していることが多くなったな、ということです。

 最近は寒いからというのもあるのですが、週末といってもあまり積極的に外出することがありません。それに比べて、このブログを確認してもわかるとおり、数年前なんて週末はよく出かけていました。子どもたちを二人とも私が一人で連れ出すことは珍しかったと思いますが、どちらか一人を連れて出かけるか、家族四人で出かけていたことなんて何も珍しくはなかったのです。

 ヒメっちが小学校に上がって、ほっといても自分で友達と約束を取り付けて遊びに行くようになったころから、徐々に我が家の中だけで独立した世界は変わってきました。それに、昨年はその半分もの期間、ヒメっちが家にいなかったという特殊な事情があったこともあり、小学校に入ってからのヒメっちとの思い出が、もっと幼かったころのそれよりも少し希薄な感じがするのです。ヒメっちが入院していてた昨年前半は、それこそ遊びに行くことなんて考えられる状態ではなかったのだから、一人で病院にいるヒメっちのことばかり心配していたという意味では、気持ちの上ではいつも子どもたちと一緒だったという言い方もあるかも知れませんが、それはちょっと特殊な状態です。

 ナイトっちはまだ、ヒメっちのような行動力はないし、私も一緒に出かけることがありますが、それもこの春を迎えていよいよ小学生ともなってしまえば、そういつまでも続くものではないでしょう。時間の問題のような気がします。

 子どもたちがいつまでも親の庇護に頼っているだけという方が普通ではないことはよくわかっているので、これは歓迎すべき現実なのだとは思うのですが、やはり子どもたちとの思い出話を無作為に頭の中から掘り起こそうとすると、あえて何年も昔までタイムスリップしてしまう自分がいるのが、ちょっと複雑な思いにさせるのです。

 頻度は下がってもいいから、時々はやっぱり、子どもたちにべったりくっついていられるような時間を作るようにしないと。ただでさえ私は、平日などは朝の数分しか子どもたちと会話をする機会がないことだって珍しいことではないのだから。

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2012年1月19日 (木)

まだ小さくて逞しい手

 今でも外出するときは、ナイトっちは私と手をつないで歩きます。それが自然なことのようになっていて、車の往来のある道路であるなしにかかわらず、一緒に歩いているほとんどの時間、手をつないでいます。

 ヒメっちとは外出すること自体かほとんどなくなってしまいましたが、もう手をつながなくなってから二~三年は経つでしょうか。今じゃもう、考えられもしないことです。

 ナイトっちもあと何ヶ月くらい、一緒に手をつないでくれるだろう。先日、土曜日だったかにナイトっちと歩いて買い物に出かけたときにも手をつないでいたけど、それももう、そんなに長くはないでしょうね。何年も前の、私の手の中にすっぽりと納まっていたあの小さかった手は、今でもまだまだ小さいけど、それでもずいぶんと大きくなってくれています。さすがに、私の手にすっぽりと収まってしまうということはなくなってきました。

 今でもナイトっちが当たり前のように手をつなぎにきてくれるたびに、そんなことを思うようになってきました。

 ナイトっちももうすぐ小学生。体は少し小さめだけど、全体的な発育面では今すぐ入学しても大丈夫なくらいにまで育っているのです。

 握った手はまだまだ小さいけど、もうこんな時期に来ているものなんですね。

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2012年1月18日 (水)

背が伸びて痩せた

 先週金曜日にいつもの病院に定期検査に行ってきて、ここでヒメっちのステロイドの内服量が一日に4.5mgになりました。さらに0.5mgの減量に成功しています。冬休みの前後の環境の変化も関係なく、年が明けて最初の通院で、またステロイドの減量を一歩進めることができたというのは、好調な滑り出しと言ってもいいかもしれません。

 一時期に大量に導入したステロイドのために、ヒメっちの背はまったく伸びなくなってしまっていました。顔は丸く浮腫み、食欲が抑えられなくなって間食が増えたりもしていました。そのため、少し前まではわりと太って見えていたのです。ステロイドのムーンフェイスという症状は、やはり薬の副作用特有の浮腫み方をするもののようで、普通に太っている状態とは少しシルエットが違って見えます。ちょっと変わった太り方をすると言ってもいいのかもしれません。

 本人も少しは気にしていたようなんですが、やはり背が伸びずに顔や体が浮腫んでいくというのは、思春期を間近に控えた女の子にとっては特に深刻な悩みだったかもしれません。

 でも最近のヒメっちは、顔の浮腫みもかなりひいてきているし、背も伸び始めているし、そのくせ体重は少し落ちているというのです。食欲も、以前ほど旺盛ではなくなってきて、食事の好みも変わってしまったみたいであまり脂っこいものを欲しがらなくなってきました。

 ステロイドの呪縛から解き放たれていることが、こんな形になって表れているのかもしれません。

 いい傾向です。入院する前の美人のヒメっちに、もうすぐ戻れるのかな。

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2012年1月17日 (火)

言葉は生き物

 私が子どものころは、「やばい」というと、本当に何か都合の悪いことがあったときとか、ピンチに陥ったときに使う言葉で、今のように何かを強烈に肯定するという意味で使われることはありませんでした。

 たとえば、「このラーメン、やばいね」といえば、麺か具材が腐ってでもいるのかと考えてしまうところですが、今では逆に、ものすごく美味しいという意味になってしまうようです。「あの女の子、かなりやばいよね」などと言うと、昔は陰口でしかありませんでした。今ではとても魅力的な女性という意味になるらしいです。

 というような話をヒメっちにしてみたら、信じられないといった顔をしていました。ヒメっちもまた、「やばい」とは最上級の肯定の意味で理解しているのです。

 言葉は生き物とはよく言われることだ、と言ってみると、それ自体ヒメっちはまだ聞いたことがなかったらしいです。いや、実際、言葉は生き物という表現は何度もいわれていることだし、10年もあれば言葉の文化なんて大きく変化してしまうのが現実というものです。

 言葉や文字に対するセンスがちょっと他の子より秀でているヒメっちは、まもなく同じようなことを実感するようになるでしょう。ただ、10年もあれば変わってしまうのが言葉なのだとしても、ヒメっち本人がまだ丸10年も生きていないのだから、まだ実感がないのは当然なのかもしれません。

 もともと感性が鋭い分、これから今の大人たちと同じような感覚に襲われたり、同じような感覚というレベルでは済まないような突飛な新しい発想を生み出してしまうかもしれません。

 そんなことを考えていると、ヒメっちの数年後が楽しみになるのです。

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2012年1月16日 (月)

最上級のいたわりの言葉

 仕事から早めに帰宅したときは、今でも玄関まで、ナイトっちが迎えに来てくれます。さすがにヒメっちが、競い合って玄関まで走ってきてくれるというようなことはもうなくなってしまいましたが、まだ幼いナイトっちは、今も私が帰宅したときには玄関まで走ってきてくれるのです。

 そしてナイトっちは、ときどきこんなことを言うのです。

「いつもお仕事がんばってくれてありがとう」

 大変だったでしょとか、お疲れ様といったような普通のいたわりの言葉ではなく、「がんばってくれてありがとう」なのです。

 ナイトっちはどこまで正確に理解して、この言葉を発してくれているというのでしょうか。

 でも、あまり深くまでは理解していなかったのだとしても、直感的に出てきた言葉が「がんばってくれてありがとう」なら、これは最高のいたわりの言葉です。

 こちらこそ、いたわってくれてありがとう。

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2012年1月15日 (日)

放火に誘拐って・・・

 一昨日帰宅したときに、我が家のすぐ地元で若い女性が拉致されるという事件が発生したという話をママっちがしていました。そのときはまだ、三十台と見られる犯人の男は捕まっていなかったのですが、昨日だか今朝だったかに、無事に女性は保護され、犯人も捕まったという続報が入ってきました。

 まずは解決してよかったというところですが、被害に遭った女性は、私たちが住むこの町で拉致され、いくつも県境を越えたまったく別の場所でほぼ一日かかって保護されたというのだから、さぞかし怖かっただろうと思います。詳しいことはよくわかりませんが、いわゆる男女関係のもつれという、よく耳にする原因で発生した事件だったようです。

 何週間か前には、我が家のあるマンションの一階の住戸で小火騒ぎがあり、出火の原因が放火だったという事件がありました。犯人は地元の中学生で、マンションの次にヒメっちが通っている小学校にも火をつけたらしいのです。そっちもつかまったらしいですけどね。

 なんだか最近、物騒な事件の発生を、ニュースではなくすぐ近くで聞くことが多くなっているような気がします。家族と一緒にずっと暮らしていこうと選んだ町なのに、そこでこんな事件がたびたび発生するようになるとは、なんとも皮肉な結果です。

 これ以上、町の住民に不安を与えるようなことが起こらないでもらいたいものです。

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2012年1月14日 (土)

きんつばを求めて

 特に予定はない週末ですが、自宅にずっとこもっているのももったいないということで、いつものお手軽パターンなんですが、散歩をかねて買い物に行こうと子どもたちを誘ってみました。ヒメっちは行きたがりませんが、ナイトっちは喜んでついてきます。

 ヒメっちが、以前から和菓子のきんつばを食べてみたいと言っていました。ただの餡子の塊のようなお菓子なんですけど、それが美味しそうに見えるんですね。私も和菓子は好きです。そこで、ナイトっちにはいつものようにスリープモードにしたDSを持たせて、和菓子屋さんをまわってみることにしました。

 一件目。ここはヒメっちの同級生Sちゃんのの親戚が経営しているお店です。Sちゃんの祖父母と見られる老夫婦が対応してくれました。

 でも残念ながら、ここにはきんつばはありませんでした。売れ行きが悪いらしくて、よく売れる商品しか作らないようにしているんだとかで、お店にも羊羹や大福などのよく見かける商品ばかりが並んでいました。

 ヒメっちの学校の話なども世間話程度にしてみたらいろいろと話してくれて、手ぶらで帰るのも悪いので、大福を四つ買うことにしました。

 二件目。駅に向かう途中の商店街の中にある、最初からあまり期待しないで入った和菓子屋さん。期待していなかったのは、品物の質がよくないのではなく、和菓子というより餅屋さんに近いお店だったからです。自家製の餅を販売しているのがウリのお店ですが、和菓子は多分それほど得意分野でもないと思っていたら、やっぱりきんつばはありませんでした。

 ナイトっちと私は、そのまま駅を超えて、駅向こうの商店街まで足を伸ばしました。実は二件目の餅屋さんに行くまでのところに、一本道をはずれるともう一箇所和菓子屋さんがあったのですが、私がそのことを失念していて、駅まで来てしまったわけです。私が知る限り、歩いて行動できる範囲の和菓子専門店は、もうここが最後だろうと思っていたところでした。三県目のお店です。

 ショーケースの隅っこのほうに、まだ八個くらいのきんつばが残っていました。

 ようやく目的のお菓子を手に入れて、その日の夕飯のデザートは大福ときんつばとなったわけです。

 ナイトっちはただ私の後ろをついてきただけだったかもしれないけど、三件回ったお店で最後に目的のものが見つかったという結果が大切です。スリリングで楽しいお散歩になったんじゃないかな。

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